持論1
吹奏楽たるものに出会って、早約10年。
その時間の中で、私なりに吹奏楽に向き合ってきました。
ここいらで、自分の考えや価値観を少しまとめておこうか、と思いまして。
備忘録的な感じです。
吹奏楽をやっていると、必ず求められる 合わせる という要素。
音楽をする場面でもそうだし、その集団の中での目標を設定し、それを達成していく過程もそう。
その 合わせる という行為を行う上で、何をどう意識するのか、一つ大きくて重要なポイントを占めていると思います。
音楽面。
よくよく合奏をしていく中で、色んなことを合わせることを、指揮者から要求されます。
合奏中に、ハーモニー、音色、表現、音程、縦のラインなどなどを合わせなさい。周りを聞きなさい。と言われる。
その時に、その指示に対して、どう自分がレスポンスするか。
吹奏楽を始めた頃の自分は、完全に音を引いてました。
周りを聞いて、自身のボリュームを下げて、周りに溶け込もうとしました。
その意図は、
「自分は下手だから、邪魔しないように、乱さないようにしなきゃ」
です。
良く言えば、謙虚です。
まさに 和 の心。協調性抜群です。
それで、私自身が不自由したかと聞かれれば、全く不自由はしませんでした。
ただ、吹奏楽や楽器が趣味に変わってからは、窮屈に感じることが多くなりました。
趣味として楽器を続けていると、色々な音楽的な欲求が出てくるわけですが、欲求の満たし方が分からない。
例えば、やんちゃに吹いてみたいと思っても、どこをどう吹いたらそれっぽくなるのか、全くピンとこない。
全く手も足も出ない状況。
どうにもならなくなって、それで、特殊奏法に走ったんですよね。
ポルタメント奏法から始まり、グロウ奏法、スラップタンギング、ビブラート奏法などなど。
でも、そういう 遊び を覚え始めてから、趣味が趣味らしく面白みを帯び始めたように思います。
そこからある程度、自己中心的に吹けるようになりました。
そんな中で合奏に挑むと、世界がガラッと変わりました。
高校生の頃よりも合奏が楽しいんです。
引いてばかりいた頃の私では決して味わうことのなかった、
自分の音楽と指揮者の求める音楽の駆け引きによる楽しさ
を感じることが出来るようになりました。
技量なんて、ほんとヘタクソのヘタクソですが、ヘタクソなりの自信を持ってやってます。
すいません、って思いながら笑
そんな私自身の経験から思うことは、私が大切にしたいのは、
個を殺さないこと
です。
個を殺さず、合わせる
という、おおよそ矛盾したことを私は求めています。
でも、できると思うんですよね。きっと。
互いに互いの力量を理解して、認め合って。
個々がしっかり吹いたその先で、合わせていく。
ほんと、理想ですね。
でも、チャレンジせずして理想で終えるつもりはありません。
その時が来れば、全力でチャレンジしていきますよ。
続く
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