言うは易し行うは難し
昨日のNさんとのお話し。
音楽をする
ということが少しずつ出来るようになってきたかなと思うのは、ほんとにほんとに最近のお話。
このフレーズを、どんな入りで、どう強めて、どう弱めて、どんな処理で、……。
自分がどう吹いたら心地よいのか。
つまりは、
自分がどう吹いたら楽しいのか。
それを求めて、あれやこれや考えるのが音楽で、
それを実際に演奏して、自分が楽しくなるのが音楽なんじゃないかな
そう思うようになりました。
あれやこれや考えるのは楽しいです。
けど、それを実現する技術が伴っていない。
だからこそ、微妙なブレスコントロールを求め始めたのかもしれません。
全力で吹く
という段階は、もうたどりつくところまで来たのかな、と。
じゃあ、今度は全力で吹いたことによって得たキャパシティを持ってして、
リラックスした状態で、細やかなブレスコントロールをすることで、表現の幅を広げる。
という段階に移ったのかな、と。
よくよく思い返してみれば、あの憧れの先輩も、言葉は違えど、そんなことを言ってました。
全力で吹けたら、今度は音量を落としてまとめていく。
先輩が大学生になってから、初めて自分たちがクラブをしてる時に見に来てくださった時に、先輩に直接言われた言葉だったと記憶しています。
あれから早6年近く。
ようやく、その言葉の意味をちゃんと理解出来たような気がします。
今まで、ドントセイを筆頭に 楽しい!! と思って吹いていたことは、幾度とありました。
それはそれで、 音楽をしていた と言えると思います。
けど、やっぱり頭のどっか心のどっかでは、
音程やら縦やらを気にしすぎて、窮屈になってた気もします。
ここのパッセージが吹けない!とか。
ここの音程が合わない!とかとか。
それを本当に気にして聞いているのは、演奏側であって、
観客側は、目と耳に入ってくる音楽が楽しいかどうか、ではないか。
ほんとにさかなクンのバリサクがズバリな例えで、
惹きつける演奏、魅せる演奏って、ああいうことを言うんじゃないかな、と。
つまりは、音楽をするってそういうことを言うんじゃないのかな、と。
言うは易し行うは難し
ですけど、だからこそこんなにも楽しんでやれているのかなぁ、としみじみ思うのでした。
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